2013年2月23日土曜日

烏森神社 封じられた物語


会社の近くに烏森神社があります。新橋駅烏森口から歩くこと数分、飲食店が並ぶ細長い路地の奥に烏森神社が鎮座しています。
烏森神社


会社に向かう途中でもあり、とある漫画にでてくる名称に似ているので少し気になっていました。休日出勤のついでに立ち寄って見ることにします。

稲荷神社だと思っていたが、狛犬は狐ではなく犬。造形はダイナミックで少し変わっています。
祭神は、倉稲魂(うかのみたま)神天鈿女命(あまのうづめ)瓊々杵(ににぎ)尊。これはネットで予め調べていたため知っていたことで、社屋には探してみたけれど、記載されていません。
烏森神社の由来ですが、藤原秀郷が平将門討伐に向かうに先立ち、武州の稲荷神社に戦勝祈願したのが始まりだそうです。藤原秀郷は百足退治で有名な俵藤太で矢の名人。秀郷の夢に白狐が現れ、白羽の矢を授けます。この矢を使い藤原秀郷は平将門の討伐を成し遂げるのですが、その御礼に新社屋を建立しようとすると、また夢に出てきた白狐は、東の地の烏が群れなす森を指名します。これが烏森神社です。この由来は何を意味しているのでしょう。狐と烏、何か関係があるのか?何故、わざわざ関東の地を新社屋に指定したのでしょうか。

稲荷神と荼枳尼天
なぜ、藤原秀郷は戦勝祈願を稲荷神社にておこなったのでしょうか。稲荷神社に戦勝祈願を行うことは割と普通のようで、武田信玄も稲荷神社に戦勝祈願を行っています。稲荷神社の総本山は京都・伏見稲荷神社だそうで、祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)神。スサノオの子であり、五穀の神とされ食物、稲の神です。食物の神と戦(いくさ)はなんの関係もないですねえ。
実は稲荷社を二つの系統に分ける考え方があるそうです。
狛犬 狐じゃない
神道系と仏教系。神道系は伏見稲荷神社を総本山とし、仏教系は豊川稲荷を総本山とします。真言密教の祖である空海は、稲荷神を氏神とする豪族秦氏の支援を受け京都東寺を建立します。この時より稲荷神(宇迦之御魂神)と白狐にまたがる荼枳尼天(だきにてん)が結びつき、同一視されていくのです。荼枳尼天は密教最強の戦闘神。戦勝祈願を行う神様としては最高の選択だったのです。
烏森神社は狛犬も狐ではなく犬ですし、稲荷神社に付き物の赤い鳥居もありません。宇迦之御魂神とうたわれていますが、実は荼枳尼天(だきにてん)なのです。

天孫降臨 瓊々杵尊の物語
烏森神社祭神の瓊々杵尊(ににぎのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけ高天原から降臨し、芦原中国を統一した神です。瓊々杵尊は天照大神の孫なので天孫降臨。高天原から降り立つ瓊々杵尊に同行したのが
天鈿女命(あまのうずめ)。天鈿女命は天照大神が天岩戸に隠れたときに岩戸の前でエロティックなダンスを踊り岩戸を開けるのに大きな役割を演じた女神です。天孫降臨の際には道案内をするために瓊々杵尊を待っていた猿田彦(さるたひこ)の正体を看破し道案内の後、猿田彦の妻となります。猿田彦は、その後海に溺れて死ぬのですが、天鈿女命(あまのうずめ)が暗殺したのではないかとの説もあります。

瓊々杵尊による葦原中国(あしはらなかつくに)制圧の様子は皇孫本紀に書かれています。現代語訳は以下のサイトが素晴らしい。
きっと鵄

皇孫本紀には烏の活躍が記載されています。
八咫烏は敵地に侵入し「天孫が攻めてくる」ことを風潮し敵陣営を動揺させ、また裏切りを誘います。
また金色の鵄(とび)は、苦戦の時に天孫の弓の先に舞い降り「雷光の如く光り輝き」敵の軍勢を幻惑し戦いを有利に導きます。
烏森の烏の絵は、三本足の八咫烏ではありません。恐らく金色の鵄(とび)が原形なのではないかと推測しています。


平将門の乱 藤原秀郷の物語
平将門の乱を平定した藤原秀郷は自らを「中国(なかつくに)を制圧した瓊々杵尊」に例えたのではないでしょうか。

天照大神  -- 天皇
瓊々杵尊  -- 藤原秀郷
芦原中国  -- 東北(蝦夷)

神社の由来や祭神の物語は、藤原秀郷が平将門の乱を平定する物語と暗示しているのです。例えば以下のような物語が起きていたのでは。

藤原秀郷は、外人部隊(荼枳尼天より派遣された白狐、白羽の矢)を使役し、スパイ(八咫烏あるいは金色の鵄)を使い将門軍を混乱させ、将門側の重要な人物(猿田彦)の裏切りを誘い、戦いに勝利します。この裏切り者は、天鈿女命(あまのうずめ)が烏森に始末し闇に葬ります。天鈿女命は、この人物の唆(かどわか)しにも重要な役割を演じていたのでしょう。

封じられたもの
この「猿田彦」の怨念を恐れた藤原秀郷は、烏森神社を建立し封じたのです。
仏教系稲荷神社の総本山・豊川稲荷の祭神は、宇迦之御魂神、猿田彦神、天宇売命(あまのうづめ)です。烏森神社と比較すると猿田彦が足りません。当然、祭られるべき猿田彦をあえて外すことで、猿田彦の存在を浮き彫りさせている裏祭神とでも呼ぶべき配置なのではないかと想像しています。
東京には神田明神など将門封印の役を担う神社がいくつかありますが、烏森神社も将門由来の怨念を封じる役を担っているのです。

2013年2月3日日曜日

藤田嗣治の猫


藤田嗣治の絵には猫が付き物だ。自分の分身なのだろうか。「美術にぶるっ展(東京近代美術館)」で藤田嗣治の「自画像」を観る機会がありましたが、やはり猫が鎮座しています。自画像ですから自分は描かれています。なんだ、分身ではないのか。それとも、魂だけ猫になっているのか。そもそも、なぜ猫なのだろうか。

藤田嗣治の絵は日本画の技術と色彩を活かした真珠色の肌が特徴的で、裸婦がとても美しく映えます。西洋画の伝統的・宗教絵画的な技法では女性の肌は少し脂ぎっているように感じます。その一方で、ギリシャ彫刻の裸婦像は素材のせいでもあるが、冷たく静謐な肌で、これは好みだ(私の)。藤田嗣治の真珠の肌は、ギリシャ彫刻の神秘性に暖かさが加わりました。さらに猫が加わると動きが感じられるようになります。生命を持つものは動くもの。藤田の裸婦は美しいが「生きる女性」としては、なにか足りないと藤田は思ったのではないでしょうか。猫がそこに忍びよることで、裸婦は女性に成りえたと、うがった見方をしてみました。それにしても猫は羨ましい。

世界はわけてもわからない」とは、分子生物学者 福岡伸一さんの本です。分解し部品だけを見つめすぎると本質を見誤ることを説いております。誠にごもっともです。しかし、誤解も楽しからずやとの勢いで、「部品」からアートを眺めてみることにしました。題して「アートの部品シリーズ」。不定期に書いてみます。

2013年1月14日月曜日

成田山は大繁盛


1月4日、あることを確認したくて成田山新勝寺に参拝しました。
実家からJRで4駅ほど上ると成田駅。駅前から少し歩くと参道の入り口です。参道には鉄砲漬、新酒、お茶、生薬、鰻、羊羹など名産のお店が並ぶ。4日の昼ですが参拝客はまだまだ多く、ゆっくりと参道を進んでいきます。焦ることなく、ゆったりと人が移動中しているのは、正月で皆心にゆとりがあるからでしょうか。
仁王門  「魚がし」と書かれた大提灯

なぜ成田山はこんなに繁盛しているのだろうか。最近気になったことです。東京を中心とする神社仏閣は江戸幕府設立当時に配置されたと思いますが、成田山新勝寺は江戸からは遠く離れているし、なにか特別な位置付けだった話は読んだことがありません。しかし正月の参拝客の統計では全国ベスト3に入るほどの人気ぶり。この理由を知りたかった。
私の仮説では成田山新勝寺は蝦夷・東北からの攻撃を防ぐ霊的防衛ラインを構成しているのではないかと疑ったのだが、一寸違ったようです。
新勝寺の建立は平安時代中期の平将門の乱に由来します。将門の鎮圧のため不動明王像を京都より戦場の地関東に運び将門の討伐を祈願しました。将門の乱後も東国鎮護として不動明王像は安置されました。これが新勝寺だそうです。まあ持って帰るのが面倒だったのではないかと思いますが。もしかすると呪いと封じ込めが狙いだったのかもしれません。しかし新勝寺と不動明王像は、その時点で役割を終えて寺は寂れ中央からは忘れさられました。次に登場するのは江戸時代です。
江戸時代、新勝寺は改装・修繕で400両ほどの多額の借金を抱えていたらしい。他の地方の仏閣寺院と同様に、秘蔵の仏像を期間限定で開示し拝観料を稼ぐ出開帳を行います。
新勝寺が素晴らしいのは、この時のマーケティングです。開帳に合わせ、同郷の役者 市川団十郎に不動明王を題材にした演目をやってもらったのです。今に例えるとテレビコマーシャルでしょう。これが大当たりし新勝寺はその後十二回も江戸で出開帳を成功させ、また市川団十郎は成田不動に帰依し「成田屋」を名乗ることになります。「いよっ!なりたや」。
新勝寺のマーケティングはターゲット顧客層の点でも成功しています。演劇を楽しみ役者のパトロンとなる商人を中心とした富裕層をがっちり獲得したのです。
講の人々を泊めた宿の名残り
出開帳の成功は更に成功を呼びこみます。伊勢参りなど幕府から許された旅行は数少ない娯楽のひとつですが、適度に遠い成田参りは手頃な小旅行先として庶民の間で大人気となりました。参拝は講(こう)と呼ばれるグループで行います。成田参りする講は一年間お金を貯めて旅行を楽しむ庶民のグループも多いのですが、前述の通り富裕層も目立ち寺院への奉納も多額になりました。成田新勝寺を歩いて回るといたるところに豪華な献納品を見つけることができます。
そうです。成田山新勝寺の成功は、他の神社仏閣との差別化戦略の成果でした。今も市川家とのつながりは続いており、また節分の時には大河ドラマの主役級が来るなど広告宣伝と話題づくりには余念がありません。下手な企業よりも、よほどマーケティングの事を理解しているのです。

ところで平将門の討伐が目的であった新勝寺には、神田明神の関係者は絶対に来ないそうです。神田明神は平将門を祭る神社ですから。

2012年12月10日月曜日

豊田市美術館の一品

11月25日、豊田市美術館に行く。仕事の関係から豊田市とは縁もあり一度は訪問してみたかった。運良く豊田市の滞在と青木野枝「ふりそそぐものたち」展が重なり、思いきって足を伸ばしてみる。
名鉄豊田駅から約1km、七洲城趾に建築されている。名鉄豊田駅からの道のりは、特に並木道として整備されているわけでもなく、落ちぶれた感じの地方都市の風情。歩いていても全く気持ちよくない。美術館に向かう道で、こんなにワクワクしないのも久しぶり。小高い丘の上に美術館はあるのだが、その麓から美術館への道のりも、アスファルトの車道で、これまた味もそっけもない。それどころか少し危ないのではないかと思う。上り道の途中に小さな公園があり、良い感じのベンチがあるのが慰め。
美術館の入口は近代的オフィスな感じで、窓口もない。本当にこちらが表玄関なのだろうか。恐る恐る中に入ると、おっ、やっと美術館らしい静謐な感じがしてきた。心配したが、なんとか美術館に来たようだ。

ところで、豊田市美術館は、城跡側・庭側からみると、とても美しい建物なのだ。名のある建築家の作品ではないかと思う次第。建物の中はモダンアートしてます。

青木野枝 ふりそそぐものたち

名古屋市美術館との共同企画で、それぞれ別の作品が展示されている。青木野枝は、現代彫刻家で「鉄を媒介とした空間表現を特徴とする (Wikipedia)」そうだ。ワイヤ、鉄輪、鉄棒など様々な部品をジャングルジムやトンネル、かまくらのように組み上げ、空間を切り取り、閉じ込め、流れを作る。そこに大気が流れ、よどみ、雨が降り注ぎ、溜まる気配を表現していた。この手法は、一種の結界づくり、呪術、風水のようなものかも知れない。
展示点数は、10点程だろうか。一般の個展からすると少ないと思うが、個人的には、これぐらいの点数が嬉しい。これ以上だと疲れてしまう。
青木野枝と豊田市とはなにか関係があるのだろうか。青木野枝は東京出身だし、活動の中心も中部ではないようだが。
青木野枝の屋外作品が、佐久島に展示されているそうだ。暖かくなったら行ってみよう。

常設展
美術館の楽しみの一つは常設展だ。三部屋ほどが常設展示に当てられていた。二室は地元の工芸品作家の展示となっていたのは微笑ましい。柿を素材にした素朴な味わい。これはこれで良いのだが、もう少し美術としての革新性が欲しい。刺激がほしい。そのような作品は、豊田には生まれなかったのだろうか。
最後の一室は、著名な作家の買い漁りに見える。ジャコメティやマグリットなど好きな作家も1点づつ展示されており嬉しいのだが、こじんまりとした部屋に、日本画、海外作品、彫刻、年代もバラバラな作品が配置され解説もなし。常設展がこれでは、美術館のソフトウエア力が疑われる。所蔵品の量ではなく質や企画の問題だろう。
展示の中で、これは、と言う「お気に入り」を見つけた。
辻晋堂(つじしんどう)座像。石膏。
片膝をついて座る姿勢が、あられもなく恰好良い。重心を下にデフォルメした造形は、小さな胸よりも母性を深く感じる。現代彫刻の洗練さと土偶のような生命力とも兼ね備えた美しい作品だ。
これだけのために、また来ても良いかなと思い直す。

豊田市美術館は、結局バランスが悪いのではないだろうか。良いところがまだまだあるに違いないのだが、見つけきれない。庭も綺麗だし、お茶室もあるようなので、またゆっくりと尋ねてみたい。

2012年11月10日土曜日

W.S.Q

W.S.QはWorld Saxophone Quartet。4人のサックス奏者で構成されたジャズユニット。1980年ぐらいから活動しているらしい。リズムセクションがないため、ベースやドラムの代わりをソプラノ、アルト、テナー、バリトンサックスのいずれかがその役割を兼ねることが多い。フリージャズ スタイルのエモーショナルな演奏と奇妙なユニゾン、不協和音が時にヒステリックな緊張を、時に陶酔的なメロディーと盛り上がりを生み出し、そしてスイングが生まれる。私の大好きなジャズ・グループだ。
W.S.Qを知ったのは、大学生の頃、まだレコードが主流だった時代だ。当時、フュージョンと呼ばれる軽音楽なジャズが流行った。今は、フュージョンとは本当はどの様な音楽を示し、目指すものであったのかは分かっているつもりだが。渡辺貞夫はカリフォルニアシャワーをやり、スクエアがメイク・ミー・ア・スターで、デビューした頃、私はジャズを聴き始めた。カッコつけてジャズ喫茶に通うようになった。当時、福岡の天神にジャズ喫茶COMBOがあり、その暗い店で、まだ知識も足りずにリクエストもできないまま、鳴るがままのレコードに聞き耳を立てながら、一人で一時間ほど過ごしていた。暗いので本も読めない。時々 、鳴っているレコードが何かをカウンタ近くまで行って確かめるぐらいしか、動くことはなかったと思う。それとて、「何だ、こんなものも知らないのか」と思われないように、慎重に行動していた。つまり、突っ張っていたのだ。


そこでW.S.Qに出会う。サン・ダンス、その時の衝撃的な曲名。なぜ、そのようなフリージャズがかけられたのか、今でも不思議だ。COMBOは、当時のチャラい音楽はかけず、ビバップやハードバップが主流で、女人禁制のお硬いジャズ喫茶だ。フリージャズがかかったことなど一度もなかった。女性向きの小洒落たジャズ喫茶で「ジャレット」と言う名があったのを思い出した。もちろん、キース・ジャレットから取ったネーミングだろう。女性に縁がなかったので、一度もいかなかったが。話がそれた。サン・ダンスだ。私以外にも、数名ジャケットを確認しに席を立つ人がいた。出会いを感じると共に、自分に「見分ける力」が身についたことを実感した瞬間だった。

福岡天神のジャズ喫茶COMBOは、タモリもよく通った有名な店だったらしいが、数年前に閉店したそうだ。W.S.Qのアルバムは、iTunesで検索すると、13枚もある。どれも、1000-1500円と安い。1枚数千円するレコードを探し回った頃からすると、夢のような時代だ。3分の1ぐらいは既に持っているが、改めて買い直しても良いよな。

あの頃、音楽を聴くことは私にとっては儀式だった。一曲、一曲を部屋のリスニングボジションに座って、目を瞑って聴いていた。たくさんの情報を音楽から得ていた時代だった。W.S.QのiTunesコレクション・コンプリートを目指すにあたり、その姿勢を復活させたい。また真剣に音楽を聴いてみたい。音楽好きな人にとって、本当に良い時代が来たのだから。

2012年10月21日日曜日

偵察ヘリ OH-1 ニンジャに興奮



航空ショーで初めて軍用ヘリコプタをみました。兵器を称賛することは少し後ろめたいのですが、とにかく恰好良いのだ。最初に見たのは側面から。迷彩色が施された流線型フォルムは狼のようであり、禍々しさを感じます。正面からみると薄!。最初は一人乗りかと思いました。両翼にミサイルらしきものを二基づつ装備しており、自衛隊も攻撃ヘリを装備しているのだと、なんか感動してしまった。

この軍用ヘリの正式型番は、OH-1。川崎重工業製の偵察・軽攻撃ヘリコプタで、陸上自衛隊に34機配備されています。もっと配備する予定だったそうですが、値段が高くて(20億円ぐらい)計画は250機だったのに、途中で中止になったそうです。任務は敵陣へ侵入しての調査。発見された場合には敵を攻撃し隙をみて逃走するために偵察ヘリであるにもかかわらず、重火器を装備することが出来ます。ついた愛称が、”ニンジャ”。なるほどって感じです。
最初、一人乗りだと勘違いしたが、直列座席(タンデム)の二人乗りで、前の人が操縦、後部座席が偵察活動を行います。各種電子観測装備は機体の上部にあり、木陰に隠れ上からのぞき見る感じで観測するそうです。装備出来る武器は、空対空短距離ミサイル4基。敵ヘリコプタなどに発見追跡された場合を想定しています。手裏剣ですな。
隠密行動のための低空飛行を可能にする高機動性、静音性能、調査能力、発見された場合の生存率を上げるための薄型フォルムや反撃武器が凝縮された日本製の軍用ヘリコプタ、これが ”OH-1 ニンジャ” なのだ。

(細かい事は、ぜひ Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/OH-1 を見て欲しい。)

このOH-1は、日本の防衛システム上、どのような位置づけなのでしょうか。湾岸戦争で知った近代戦争のプロセスは、まず制空権を確保する行動からスタートする。トマホークなどによる相手の対空防衛システムの破壊、攻撃機による空対空戦、そして制空権を確保すると爆撃機による地上設備の破壊が始まる。そして陸上部隊が上陸を開始。
しかし、この作戦はその後のプロセスが問題になっている。制圧プロセスが未だクリーンではないのだ。古くて新しい問題、市街戦やテロ活動に対して、圧倒的な対策行動が未だ確立されていない。モビルスーツ、各種電子機器などを駆使したSFや漫画みたいな戦術は結構真剣に議論されているに違いない。

話がそれました。改めて「OH-1は日本の防衛システムの中でどのような役割を果たす予定なのだろうか」考えてみた。日本の仮想敵国の上陸部隊殲滅を図るための部隊戦力偵察が予定されている任務なのだろう。ある程度、上陸されることは前提なのか。アメリカ空軍の御陰で制空権は完全に敵国に掌握されないものの、海軍の展開は間に合わないため、仮想敵国の大量、広範囲の上陸行動を許すことになる。この場合、日本の陸上部隊は攻撃を受けずに陸上部隊を迎えることが出来る。陸上部隊の展開力・機動力、そして敵部隊武装の調査把握能力が重要だ。

  1. 遅れて展開されるアメリカ海軍による敵国ロジスティクスの破壊、
  2. (制空権は確保されているので)哨戒機による索敵、
  3. OH-1による敵部隊の把握と攻撃プランの策定、
  4. オスプレイによる陸上部隊のダイナミックな配置行動、

これが日本の防衛システムのプロセスではないだろうかと想像しています。

いや、決して戦争を賛美しているわけではないのですが、OH-1をみて少し興奮してしまったようです。戦争はないのが一番、備えあれば憂いなしですが、それとは別の次元で、そもそも戦争・紛争・暴動など起きないように活動してほしいものです。戦争はゲームだけでたくさん。

そう言えば、最近戦争ゲームは市街戦テーマのモノが多い気がします。それも現在の軍事課題が反映している結果なのでしょう。まさか、戦争ゲームでシミュレーションしたりしていないですよね。まさかね :-p

2012年10月8日月曜日

2050年の世界


人口ピラミッドシミュレータを見つけました。

http://populationpyramid.net/

国や地域を指定し、年度を選ぶと人口ピラミッドと1950-2100年の人口推移を表示してくれます。
以下の駄文は読まなくても良いので、ぜひシミュレータで遊んでみてほしい。とても興味深いから。


上図は、2050年の中国の人口ピラミッドをシミュレートしたものです。
2015年頃をピークに人口は静かに減少しはじめ、2050年は、13億。この時、世界の人口は93億なので中国人は14%、七人に一人は中国人。驚くべきは、年代別構成比。半分は50歳以上だ。日本や韓国(republic of korea)も同様に壮年と老人の国になっている。明らかに社会保障とか破綻しているでしょうね。

人口ピラミッド・シミュレータを頼りに、2050年の世界を想像してみた。2050年に特に意味はありません。ちょうど数字として切りが良かったからかな。なんとなく政策をこれから切り替えて反映できるかもしれないぎりぎりの線だという気がしただけです。

2050年の世界

世界の人口は、増え続け93億になっている。50億はアジアの人達、まさにアジアの世紀。13億の中国はピークを過ぎ、人口の中心は24億を占める南アジア。インド17億、インドネシア3億は40代を中心に、経済は成熟期を迎えている。世界を見渡すと、人口5億の南アメリカ諸国もピークだ。南アジア、南アメリカが世界の工場と呼ばれている。
中国・タイ・日本・韓国は老化が進んでいる。中国は一部富裕層の海外移民も起きている。旺盛な消費を支えるため、地下資源の輸出が頼りであり、資源確保のため周辺地区への圧力も厳しく、軍拡は止まらない。
意外な事だが、4億の民アメリカの人口構成は大きく崩れておらず、静かに人口の増加を続けている。移民と文化と経済の実験場として、自らに刺激を与え続け、変貌させ続ける若々しさが、アメリカにはあるようだ。
7億のヨーロッパは人口構成こそ一時期の異常さを脱したものの、人口は横ばいを続けている。金融センターとしての地位は、まだこの地に存在するのだろうか。
アフリカ22億の人口は、まだ急激に伸びている。世界の労働力を支えるのは、この地域だ。世界の各地へ若々しい労働力を派遣している。

日本は、かなりハイブリットな状況だ。2010年頃より、恐る恐る続けてきた海外労働者受け入れ施策やバブル当時からの民間努力もあり、ずいぶんと外国人が国内に目立つようになった。まだ労働ビザでの入国が多いが最近は国籍を取得する人達も多くなっている。アメリカ好きの日本は、少しづつアメリカ移民政策を自分流に取り入れてきているようだが、人口構成の劣化の修正には、まだまだ遠い。
世界は主役を交代させながら、グローバル化による摩擦を生み出しながら、2100年の100億に向かって人口を増やし続けている。

随分と想像を逞しくしてみたつもりだけど、やっぱりピンと来ませんね。しかし、人口推定は戦争や大規模な疫病がないかぎり、必ず当たる予測で、様々なマーケティング、経済予測、社会学の基礎になっています。全ての政策の背景が人口推定にあるといても、過言ではない。これからも、何度も何度も見る機会がある、いや使う必要がある重要なシミュレータですよ。

2012年9月29日土曜日

Googleのコア・コンピタンス

一般には検索エンジンがGoogleのコア・コンピタンスだと言われています。
検索エンジンを軸に広告収入を得る。モバイルOSを只で普及させるのも、検索エンジンを特定し、結果広告収入を独占するため。ブラウザもそうだ。
だが、ちょっと関節技すぎないだろうか? 現実を説明するために「風が吹けば、桶屋が儲かる」みたいな説明を聞いているような気がします。
最近のGoogle関連で気になる記事が三つ。

眼鏡も自動車も広告収入からは程遠いように見えるし、また即効性のあるビジネスになるとも思えません。しかしビジネスモデルの視点を外してみると、Googleらしさが見えてきます。永遠のベータ版しか作成しないと皮肉られるgoogleの行動が、実はなにを生み出しているのでしょうか。

MAP、グラス、自走式自動車、これらは難しい技術です。具体的にどの辺りが難しいかと言うと、それは経験値が大量に必要だと言うことです。アプリケーションソフトウエアは、総じて目的が決まっており、利用のされ方は意外と固定されています。逆に言うと、目的あるいはユースケースを特定してから、アプリケーションソフトウエアを作成するのが、普通のシステム開発です。ところが、地図もグラスも自動車も、現在は利用方法や利用範囲がメチャメチャ広く、また日々増えていきます。それぞれの利用の組み合わせも考えるとシステムがカバーすべき範囲は恐ろしく膨大だと言えるでしょう。したがって、その完成には膨大な量の利用例が必要で、また整合性を保つ必要があります。
つまり、強大なユースケースのデータベースが必要です。作成には長期間の実験も必要で、それを蓄積し整理するノウハウも持っていなければなりません。googleの検索エンジンは、そのような長い間の実験の結果得たランキング技術が製品化され、広告収入となった例です。
現在進行中の眼鏡や自動車の実験の行き着く先は、広告収入ではないでしょう。恐らくGoogleも知らないのでは。ただ、ただ、膨大かつ有用なユースケースデータベースが出来ることこそ重要だと考えいるにちがいありません。このデータベースは、他社に対する大きなアドバンテージです。時間的に全く追いつけません。Appleが失敗したのも無理がないことです。Appleは勘違いしているのです。MAPは技術と地図情報を手に入れれば、すぐに実現できるのだと。不足しているのは、ユースケースデータベースです。これは暫く追いつけない。Googleのコア・コンピタンスは、ユースケースデータベースを作り上げる力です。この力は、大きく、長く、金を生み続けると言うことを検索エンジンビジネスから成功体験としてgoogleは身についているのでしょう。コア・コンピタンスと呼んで良いのでは。
* * * * * *

昨夜(2012/9/28)、Appleのティム・クックCEOがMAPアプリについて謝罪をしたのですが、そのなかで面白い発言があった。「たくさんの人がMAPアプリにアクセスしてくれた事に感謝しています。これでより良い製品に改善することができます」と言ったのだ。気づいたのだろうか。良いMAPアプリを作るには、ユースケースを大量に手に入れる必要があるということに。

画像はセントレア国際空港付近をApple Mapアプリで検索した結果です。フィリピン海に浮かぶセントレア島の入口には、謎の韓国名の橋がかかり、ダイセーエブリー24と言うアイドル団体か宗教団体の事務所があるようです :-p

2012年9月16日日曜日

あくまき


「あくまき」は宮崎県のソウルフードです。

南国物産展を見物していると「あくまき」をみつけました。¥420円(+ 専用のきなこ100円)。早速購入です。

「あくまき」は、竹の皮に包まれたアメ色の羊羹への成りかけみたいなモチみたいな食べ物です。食べやすい大きさに糸で切り、きなこをタップリとかけていただきます。その味は、思いの外甘く、触感もしっかりしており、エグさやクセはありません。その製法は、灰汁(アク)を十分に吸い込んだモチ米を竹の皮に包み、お湯にいれ煮込むのだそうです。

小学生の頃、福岡に住んでいたのですが、夏休みのたびに母方の両親が住む宮崎県飫肥に遊びにいきました。必ず、食べたのが「あくまき」です。あく(灰汁)で巻くから、あくまきなのだろうと思います。それは特別な食べ物でした。時々お客様が持ってきてくれるケーキみたいな幸運で、高価で、高貴なものと子供心に感じていました。でも、じいちゃんの家だけではなく、他の親戚の家にもありました。もしかすると、あの頃は未だ自家製だったのではなかったかと想像しています。正月になると各家が餅を突くように、宮崎ではあくまきを各家で作っていたのではないでしょうか。

いつの頃からか、あくまきを食べることはなくなりました。嫌いになったのか、出されることがなくなったのか、幼い頃の記憶では、ばあちゃんに「あくまきはないのか」と尋ねた思い出が残っています。返事がなんだったのか、覚えていません。

そして今日、久しぶりにあくまきを食べる機会を得ました。食べることが出来たことが大変うれしいです。もっと美味しいものはたくさん世の中にありますが、思い出が詰まっている食べ物は、そう多くはありません。もう絶滅してしまったかな、と思っていた「あくまき」を、また食べることが出来て幸せです。

2012年8月26日日曜日

構造が違うよ

ヴェリタス 2012.8.5 記事「英国 EU離脱論が消えないワケ」を読んだ。記事はオリンピック絡みの無理やり感があったのですが、いろいろと気づかされます。

記事要約 「英国 EU離脱論が消えないワケ」ヴェリタス 2012.8.5

EUに加盟しているが、大陸欧州とは独自路線をいく英国。「栄光ある孤立」を実現している根拠を5つ示している。
  1. 大英帝国の名残。プライドが孤立を生む。
  2. EU参加の条件として、ユーロ参加例外など様々な例外(オプトアウト)を獲得している。
  3. 1992年のボンド危機(ボンド暴落)で、世界通貨との連動が外れ、孤立した通貨となった。独自な通貨施策が可能となる。
  4. 英国の成長戦略の核である、金融街シティー。これを守ることが国家施策の最優先事項。
  5. 財政施策、金融施策はEU施策に縛られない迅速かつ独自な路線を実施でき、成功している。

日本と違う

記事のグラフ「英国のGDP産業別構成比」が面白い。いや知らなかった。英国のGDPの三分の一は、金融業により生み出されているとは。製造業は、全く出てこない。日本では、たしか製造業が25%程度で、一番だったと記憶しています。 これでは、日本と英国では政府の経済施策が全く異なってもおかしくない。いや、違うべきだ。マスコミの関心も全く異なるだろう。英国エコノミストと日本経済新聞では、「なんかセンスも論調も違うな、エコノミストは恰好良いな」と漠然と思っていましたが、多分この経済構造のせいですね。汗水垂らし製造ラインで働くイメージを持つ日本のマスコミの経済記事が、プロレタリアっぽい論調になってしまうのは当然ですね。そして、口先三寸の分析で金融マーケットを動かすスーツ姿のマスコミ記事がクールに見えてしまうのですね。(この当たり冗談ですよ)
当然ですが、経済の構造の違いは、必要とする財政政策、金融政策の違いに現れるはずです。他国が成功したからといって、自国で成功するわけがない。超国家による政策協調は、部分最適を生まないのです。最近話題の本 ノーベル賞経済学者ポール・グルーグマン著「さっさと不況を終わらせろ」の指摘が、アメリカには通用しても日本に通用しない。当たり前の理屈を踏まえた、地に足がついた議論が面にでない気がします。

個人も構造が違うよね

「xxxすれば儲かる」見たいな成功のための方法論みたいな本が売れています。「○○が教える幸せの法則」とかも同類。人も、それぞれ(精神や背景、能力、資産など)構造が違うんだし、その本の通りにして成功することは絶対にないでしょう。そのような本は、選びうる施策の一つです。選択出来る可能性のある施策案をたくさん知っておくことは良いことだとは思いますが、無理な真似は失敗しますな。まずは、構造を知ることから。