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2013年2月3日日曜日

藤田嗣治の猫


藤田嗣治の絵には猫が付き物だ。自分の分身なのだろうか。「美術にぶるっ展(東京近代美術館)」で藤田嗣治の「自画像」を観る機会がありましたが、やはり猫が鎮座しています。自画像ですから自分は描かれています。なんだ、分身ではないのか。それとも、魂だけ猫になっているのか。そもそも、なぜ猫なのだろうか。

藤田嗣治の絵は日本画の技術と色彩を活かした真珠色の肌が特徴的で、裸婦がとても美しく映えます。西洋画の伝統的・宗教絵画的な技法では女性の肌は少し脂ぎっているように感じます。その一方で、ギリシャ彫刻の裸婦像は素材のせいでもあるが、冷たく静謐な肌で、これは好みだ(私の)。藤田嗣治の真珠の肌は、ギリシャ彫刻の神秘性に暖かさが加わりました。さらに猫が加わると動きが感じられるようになります。生命を持つものは動くもの。藤田の裸婦は美しいが「生きる女性」としては、なにか足りないと藤田は思ったのではないでしょうか。猫がそこに忍びよることで、裸婦は女性に成りえたと、うがった見方をしてみました。それにしても猫は羨ましい。

世界はわけてもわからない」とは、分子生物学者 福岡伸一さんの本です。分解し部品だけを見つめすぎると本質を見誤ることを説いております。誠にごもっともです。しかし、誤解も楽しからずやとの勢いで、「部品」からアートを眺めてみることにしました。題して「アートの部品シリーズ」。不定期に書いてみます。

2012年12月10日月曜日

豊田市美術館の一品

11月25日、豊田市美術館に行く。仕事の関係から豊田市とは縁もあり一度は訪問してみたかった。運良く豊田市の滞在と青木野枝「ふりそそぐものたち」展が重なり、思いきって足を伸ばしてみる。
名鉄豊田駅から約1km、七洲城趾に建築されている。名鉄豊田駅からの道のりは、特に並木道として整備されているわけでもなく、落ちぶれた感じの地方都市の風情。歩いていても全く気持ちよくない。美術館に向かう道で、こんなにワクワクしないのも久しぶり。小高い丘の上に美術館はあるのだが、その麓から美術館への道のりも、アスファルトの車道で、これまた味もそっけもない。それどころか少し危ないのではないかと思う。上り道の途中に小さな公園があり、良い感じのベンチがあるのが慰め。
美術館の入口は近代的オフィスな感じで、窓口もない。本当にこちらが表玄関なのだろうか。恐る恐る中に入ると、おっ、やっと美術館らしい静謐な感じがしてきた。心配したが、なんとか美術館に来たようだ。

ところで、豊田市美術館は、城跡側・庭側からみると、とても美しい建物なのだ。名のある建築家の作品ではないかと思う次第。建物の中はモダンアートしてます。

青木野枝 ふりそそぐものたち

名古屋市美術館との共同企画で、それぞれ別の作品が展示されている。青木野枝は、現代彫刻家で「鉄を媒介とした空間表現を特徴とする (Wikipedia)」そうだ。ワイヤ、鉄輪、鉄棒など様々な部品をジャングルジムやトンネル、かまくらのように組み上げ、空間を切り取り、閉じ込め、流れを作る。そこに大気が流れ、よどみ、雨が降り注ぎ、溜まる気配を表現していた。この手法は、一種の結界づくり、呪術、風水のようなものかも知れない。
展示点数は、10点程だろうか。一般の個展からすると少ないと思うが、個人的には、これぐらいの点数が嬉しい。これ以上だと疲れてしまう。
青木野枝と豊田市とはなにか関係があるのだろうか。青木野枝は東京出身だし、活動の中心も中部ではないようだが。
青木野枝の屋外作品が、佐久島に展示されているそうだ。暖かくなったら行ってみよう。

常設展
美術館の楽しみの一つは常設展だ。三部屋ほどが常設展示に当てられていた。二室は地元の工芸品作家の展示となっていたのは微笑ましい。柿を素材にした素朴な味わい。これはこれで良いのだが、もう少し美術としての革新性が欲しい。刺激がほしい。そのような作品は、豊田には生まれなかったのだろうか。
最後の一室は、著名な作家の買い漁りに見える。ジャコメティやマグリットなど好きな作家も1点づつ展示されており嬉しいのだが、こじんまりとした部屋に、日本画、海外作品、彫刻、年代もバラバラな作品が配置され解説もなし。常設展がこれでは、美術館のソフトウエア力が疑われる。所蔵品の量ではなく質や企画の問題だろう。
展示の中で、これは、と言う「お気に入り」を見つけた。
辻晋堂(つじしんどう)座像。石膏。
片膝をついて座る姿勢が、あられもなく恰好良い。重心を下にデフォルメした造形は、小さな胸よりも母性を深く感じる。現代彫刻の洗練さと土偶のような生命力とも兼ね備えた美しい作品だ。
これだけのために、また来ても良いかなと思い直す。

豊田市美術館は、結局バランスが悪いのではないだろうか。良いところがまだまだあるに違いないのだが、見つけきれない。庭も綺麗だし、お茶室もあるようなので、またゆっくりと尋ねてみたい。

2012年7月22日日曜日

怪鳥ロプロプの謎 ー エルンスト展感想 (駄文) ー


2012年7月15日、犬山城を後にして愛知県美術館に向かいます。お目当ては「マックス・エルンスト フィギュア X スケープ」展。
前回の「魔術・美術」展が、もの凄く面白い企画展だったので、今回の期待のハードルは高い、高いのです。到着したのは15時ぐらいだったでしょうか。

美術作品のテーマって
美術作品の企画展はテーマ設定が大変難しいのでしょう。XXXコレクションとか、一つの有名作品を見せるためのとってつけたようなxxx派展とか、触手が動きません。かといって、余りにストレートなテーマは想像の範囲が殆どなく単調です。シュールレアリズムの変遷とかは、ちょっと引いてしまいます。今回の「フィギュア X スケープ」は、いいですねえ。謎めいていて想像力が掻立てられます。手渡された解説を一寸読むと、テーマ判った気になるんですが、それほど浅くはありません。スタートは、コラージュ作品。詩集「反復」の挿し絵は正直、何が描かれているのか、その意図はさっぱり理解できません。でも、なにか一貫した「もの」がある気がする、感じるのです。恐らく、詩から受ける脳内のイメージを、詩と同じ方法で表現したのでしょう。詩は言葉を選び組み合わせることで新たな「なにか」を生み出すのですが、コラージュは既存の絵を切り貼りし、配置し組み合わせることで、別の「なにか」を生み出す手法ですから構造が良く似ています。それにしても、抽象度が高く観るたびにドキドキします。それはフリージャズを聴いてる時の興奮に似ている気がします。
挿し絵形式で物語の形式をとっているものがいくつか展示されていました。「不滅な人々の不幸な出来事」、「百頭女」、「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」、「ナイフ氏とフォーク嬢」、「慈善週間または七大元素」など。どれも不気味で、少しエロっぽくて、なにか物語が見えてきそうで、でも良く判らん。そしてドキドキします。そうか、これが美術作品群のテーマ・企画と言うものなのかと気づきました。直喩ではいけないのです。底が浅く、すぐに飽きてしまいますから。作者の意図も超えた、あるいは自分さえも判らない深層心理をすくい上げ、その手がかりを垣間見せるぐらいの得体のしれなさが必要だし、その一方で一つの流れや「くくるもの」が必要です。観る人は適当な幅で右往左往し想像出来るのが、良い芸術作品なのでしょう。そして良い企画展もそうなのでしょう。
石化した森

お気に入りの森
展示テーマとは別に、単純にマックス・エルンストの気に入った作品がありました。「森」シリーズです。「森」はエルンストが好んで油絵で描く題材らしく、今回の展示でも10点ほどあったと思います。そこには人や動物は出てきません。人を寄せ付けない深い神秘な森の様々な姿と単純な円で描かれた月が存在するだけです。森は唯々深く、月は無言で森の中に埋まっています。森の上ではないのです。森は、それほどに圧倒的に世界を支配します。国立西洋美術館の常設展に飾られていた、なじみの「石化した森」も展示されていました。なじみの人に偶然会えた感じで、ちょっと感動したりします。(右の写真、国立西洋美術館で撮ったもの)
今回、お気に入りに加わった作品もあります。「マクシミリアーナ、あるいは天文学の非合法的行為」(エッチング)の一連の作品です。文字と挿し絵で構成されているのですが、なんと文字はエルンストの造形なのです。これは、もうグラフィックデザイン、DTP、書道。文字は機能を換骨奪胎され抽象的な表意文字?になってます。これも森シリーズも絵葉書が販売されていないので、ちょっとがっかりです。

ロプロプの謎
ところで、エルンストの作品の中には随所に「ロプロプ」と名付けられた鳥人間が現れます。頭は鳥で体が人間です。解説によれば、エルンストが未だ子供の頃、可愛がっていた鸚鵡が死んでしまい、その日に妹が生まれた事から、鳥と人との霊的なつながりを知りショックを受けたのだそうです。自分にも守護霊的な鳥の存在がいることを確信し、自分の代理人・分身としての鳥(鳥人間)を作品に登場させるようになりました。ロプロプの名は、自分の子供に木馬を与え、それを揺すりながら「ギャロップ、ギャロップ」と囃していたため、子供は「ロプ、ロプ」と覚え口ずさんだことに由来すると書かれています。ロプロプの名は、その頃に初めてエルンストが発言し、「ロプロプが紹介する」と名付けたタイトルもあるそうです。
これからは私の想像です。自分の息子が「ロプロプ」と、はしゃいだ時エルンストは最初なんの事か判らなかったのではないでしょうか。そして自分には見えないが子供には「ロプロプ」と呼ばれるものが見えているのではないかと気づくのです。それは以前より信じていた自分の守護霊だと確信したでしょう。こうして自分の守護霊の名前を知ったのでないでしょうか。怪鳥ロプロプの誕生です。日本の言霊信仰によれば、名を持つことで、それは現実となるのです。

さらに、想像は続きます。長年、バビル二世の三つのしもべの名の由来はアニメファンの謎でした。ポセイドンは明らかに海の神が由来です。しかし、ロデムとロプロスは、由来が全く不明です。ギリシャ神話を含め、その名前はないのですから。もう御判りでしょう。恐らく、ロプロプが由来です。怪鳥ロプロプと呼ばれたエルンストの鳥人間を、どこかで耳にした横山光輝先生が、その語感の良さから採用し、ロプロスとしたに違いありません。バビルも、本来バベルのはずですが語感の良さからバビルに変更したそうですから、ロプロプーロプロス変換は、なにも問題なかったでしょう。

脱線しましたが、マックス・エルンスト展は、その企画テーマの御陰で素晴らしい世界観を持った展示となり、飽きることなく一気に観ることが出来る、そしてドキドキが止まらない楽しい展示でした。この感動を何度も深く味わうことが出来る充実したカタログにも満足です。これで、また次の企画展のハードルが上がってしまいました。

2012年5月6日日曜日

雨の美術館 ロベール、ピラネージ、ハンマースホイ、ビシェール

国立西洋美術館に来ました。ゴールデンウィークも真ん中、混んでるかなと心配したが企画展がユベール・ロベール展と一般受けしないやつで、賑やかさも程よい感じ。雨の中、館内にはいります。先ずはユベールから。


「廃墟のロベール」と異名を持つフランス風景画家の展示品の多くをサンギーヌと呼ばれるチョーク画が占めています。エモーショナルな感動は受けませんが、ジブリのラピュタ世界を感じます。彼が描くのは長く滞在したローマ。当時のローマは古代、中世、ルネサンスのそれぞれの遺跡が発掘され、剥き出しになり、村や街の彼処に顔をみせていました。日常の中に異次元の、異世界のモノがさりげなく混じっていたらしい。そのチョット不思議観が面白い。副タイトルの「時間の庭」はそう言う意味でしょう。ロベールは「国王の庭園デザイナー」だそうです。デザインのために実際には存在しなかった風景も描いています。

さて、常設展示へ。いつも、これが楽しみ。ピラネージ 「牢獄」展を開催されていました。


ピラネージ (1720 - 1778 )はイタリアの画家であり建築家と自称していましたが、実際に建築されたものはないそうだ。エッチングで描かれた版画作品集でテーマはローマの牢獄。一版と自身が編集し直した二版の中からの展示。二版の方がダークで力強くて牢獄してます。何処かで見たような気もするのですが、映画か小説の挿絵だったのかもしれません。ゲームかな。牢獄には跳ね橋や拷問器具など様々なギミックがあり、入り組んでいてダンジョンの様です。

常設展示の2階の奥に、今日もハンマースホイの作品「ピアノを弾くイーダのいる室内」がひっそりと掛かっていました。


国立西洋美術館が所蔵するハンマースホイ作品はコレだけで数年前に購入したらしいです。この人、寂しい室内を描いてばかりいるひとで、人物も奥さんイーダの後姿ばかり。家具も少なく、全体のモノトーンな色調も相まって生活感が全くありません。この寂寥感はとても心惹かれます。デンマークの作家で生前は売れっ子だったそうです。生きている人が描いてこその寂寥だったのでしょうか。最近の常設展示のマイブームです。

常設展示の出口近くがモダンアート。いつもはミロやエルンストで締めるのですが、気になる作品を見つけてしまいました。


ロジェ・ビシェール 「花を持つ貴婦人」。観てて、すごく不安な気持ちになってきます。最初、その理由が判らなかったのですが。顔の左右が違うのですよ。非対称とか、そう言うものではなく異なる人の顔をさり気なく、くっつけた感じ。これは何なんでしょう。いっそ、他の抽象画の様にハッキリ描き分ければ良いのに、微妙なので、ジワジワと背筋が寒くなってしまいます。また観に来なければなりません。

外は雨が降り続いています。売店でハンマースホイの絵葉書も買ったし、暗く静かな気持ちになりましたし、さあ帰るとしましょう。

2011年11月13日日曜日

がっかり。わくわく。東京国立近代美術館


とあるブログで、スイスの建築家 VALERIO OLGIATI (ヴォレリオ・オルジャティ)展が目にとまったので、東京国立近代美術館にいってみた。入場料は常設展込みで450円。安いのが気になり、いやな予感が漂います。入場してみるとヴォレリオの展示場は二階の一室のみ。白い模型が九点と図版だけの展示。解説も素人が読むにはつらい、専門的な内容だし、模型はきれいだけどリアリティはなく、つまらん。失礼ながら、大した内容ではないのに写真も禁止。建築は構築されてしまえば晒しものにされるので、写真禁止はあまり意味がないように思えるのだけどね。
がっかりして、所蔵品ギャラリに向います。これは面白かった。テーマは「近代日本の美術」、その他に、「ぬぐ絵画 日本のヌード」開催されていました。
二階 現代美術(970年代以降)、三階 昭和戦前・戦後、四階 明治大正 と展示されていたのですが、成り行きによって、二階から四階への時代をさかのぼっていくことに。

現代美術の展示から
ダンサー
やっぱり、へんちくりんな現代美術品が刺激的です。鷲見和紀郎(すみ わきろう)の作品「ダンサー」。踊り子がくるくると回る様子とスカートや手が回転を追いかけていくダイナミックな動きを静止した造形物で表現したのでしょうか。ダンサーは、2つのバリエーションがありましたが、こちらの方が素敵です。

このあたりでは、写真も展示されています。現代美術は、表現手段や素材が様々に模索し試されてきた時代でもあり、そのなかでも写真は、アートの分野で大きな地位を占めてきたのでしょう。「脱ぐ絵画」企画展でも、写真が多く展示され、そこでは海外の写真家の作品もあったのですが、やはり芸術性では海外の方のほうが秀でているようです。最近はそんなこともないのでしょうが。

昭和 戦時と戦後の展示から
間所紗織 「女」
間所紗織の「女」。まだ女性の進出には厳しい時代だったのでしょう。海外へ飛び出し、または抽象画に活躍の場を求める女性がいらしたようです。この作品は、神話時代の踊り子を表現したのでしょうか?縄文時代ような服装、狂気を秘めた赤、画面いっぱいを占め、飛び出してくるような勢いを感じます。

松本竣介の「建物」、建畠覚造の「貌(かお)」など、興味深い作品も数多く並ぶ、私的には一番充実していたフロアでしょうか。掲載出来なかった写真は、あとでFacebookあたりにアップしておくことにしましょう。日本の... と言いながら、パウル・クレイの「山への衝動」など外国人作品が混じっているのはご愛嬌かな。

棟方志功の黒い薔薇の裸婦。屏風絵なのに、モダンで、エロティックで、なのに圧倒的に高い芸術性が発散されています。脱帽ですね。いや、それにしてもエロい。なまじ最近の劇画でも、このようなエロティズムはだせませんよ。でも、なぜか欲情しないのは芸術だからでしょう。

棟方志功 黒い薔薇の裸婦
明治、大正の展示 など
最後のフロアは、写真をとりませんでした。展示内容は、もう昔の美術の教科書に載っていたり、切手になったりしている超有名作品の目白押し。東京国立近代美術館を訪れるたびに観ているものばかり。何度みても、楽しいですね。

パンフを見ていると、月に何度か、キューレターの方や作者、ボランティアの方によるガイドツアーやトークがスケジュールされていました。金曜日の夜18:00からとか、すこし会社を早引きして参加してみようかしら。知識が増えたほうが、美術鑑賞はもっと面白くなるような気がします。