2012年12月10日月曜日

豊田市美術館の一品

11月25日、豊田市美術館に行く。仕事の関係から豊田市とは縁もあり一度は訪問してみたかった。運良く豊田市の滞在と青木野枝「ふりそそぐものたち」展が重なり、思いきって足を伸ばしてみる。
名鉄豊田駅から約1km、七洲城趾に建築されている。名鉄豊田駅からの道のりは、特に並木道として整備されているわけでもなく、落ちぶれた感じの地方都市の風情。歩いていても全く気持ちよくない。美術館に向かう道で、こんなにワクワクしないのも久しぶり。小高い丘の上に美術館はあるのだが、その麓から美術館への道のりも、アスファルトの車道で、これまた味もそっけもない。それどころか少し危ないのではないかと思う。上り道の途中に小さな公園があり、良い感じのベンチがあるのが慰め。
美術館の入口は近代的オフィスな感じで、窓口もない。本当にこちらが表玄関なのだろうか。恐る恐る中に入ると、おっ、やっと美術館らしい静謐な感じがしてきた。心配したが、なんとか美術館に来たようだ。

ところで、豊田市美術館は、城跡側・庭側からみると、とても美しい建物なのだ。名のある建築家の作品ではないかと思う次第。建物の中はモダンアートしてます。

青木野枝 ふりそそぐものたち

名古屋市美術館との共同企画で、それぞれ別の作品が展示されている。青木野枝は、現代彫刻家で「鉄を媒介とした空間表現を特徴とする (Wikipedia)」そうだ。ワイヤ、鉄輪、鉄棒など様々な部品をジャングルジムやトンネル、かまくらのように組み上げ、空間を切り取り、閉じ込め、流れを作る。そこに大気が流れ、よどみ、雨が降り注ぎ、溜まる気配を表現していた。この手法は、一種の結界づくり、呪術、風水のようなものかも知れない。
展示点数は、10点程だろうか。一般の個展からすると少ないと思うが、個人的には、これぐらいの点数が嬉しい。これ以上だと疲れてしまう。
青木野枝と豊田市とはなにか関係があるのだろうか。青木野枝は東京出身だし、活動の中心も中部ではないようだが。
青木野枝の屋外作品が、佐久島に展示されているそうだ。暖かくなったら行ってみよう。

常設展
美術館の楽しみの一つは常設展だ。三部屋ほどが常設展示に当てられていた。二室は地元の工芸品作家の展示となっていたのは微笑ましい。柿を素材にした素朴な味わい。これはこれで良いのだが、もう少し美術としての革新性が欲しい。刺激がほしい。そのような作品は、豊田には生まれなかったのだろうか。
最後の一室は、著名な作家の買い漁りに見える。ジャコメティやマグリットなど好きな作家も1点づつ展示されており嬉しいのだが、こじんまりとした部屋に、日本画、海外作品、彫刻、年代もバラバラな作品が配置され解説もなし。常設展がこれでは、美術館のソフトウエア力が疑われる。所蔵品の量ではなく質や企画の問題だろう。
展示の中で、これは、と言う「お気に入り」を見つけた。
辻晋堂(つじしんどう)座像。石膏。
片膝をついて座る姿勢が、あられもなく恰好良い。重心を下にデフォルメした造形は、小さな胸よりも母性を深く感じる。現代彫刻の洗練さと土偶のような生命力とも兼ね備えた美しい作品だ。
これだけのために、また来ても良いかなと思い直す。

豊田市美術館は、結局バランスが悪いのではないだろうか。良いところがまだまだあるに違いないのだが、見つけきれない。庭も綺麗だし、お茶室もあるようなので、またゆっくりと尋ねてみたい。

2012年11月10日土曜日

W.S.Q

W.S.QはWorld Saxophone Quartet。4人のサックス奏者で構成されたジャズユニット。1980年ぐらいから活動しているらしい。リズムセクションがないため、ベースやドラムの代わりをソプラノ、アルト、テナー、バリトンサックスのいずれかがその役割を兼ねることが多い。フリージャズ スタイルのエモーショナルな演奏と奇妙なユニゾン、不協和音が時にヒステリックな緊張を、時に陶酔的なメロディーと盛り上がりを生み出し、そしてスイングが生まれる。私の大好きなジャズ・グループだ。
W.S.Qを知ったのは、大学生の頃、まだレコードが主流だった時代だ。当時、フュージョンと呼ばれる軽音楽なジャズが流行った。今は、フュージョンとは本当はどの様な音楽を示し、目指すものであったのかは分かっているつもりだが。渡辺貞夫はカリフォルニアシャワーをやり、スクエアがメイク・ミー・ア・スターで、デビューした頃、私はジャズを聴き始めた。カッコつけてジャズ喫茶に通うようになった。当時、福岡の天神にジャズ喫茶COMBOがあり、その暗い店で、まだ知識も足りずにリクエストもできないまま、鳴るがままのレコードに聞き耳を立てながら、一人で一時間ほど過ごしていた。暗いので本も読めない。時々 、鳴っているレコードが何かをカウンタ近くまで行って確かめるぐらいしか、動くことはなかったと思う。それとて、「何だ、こんなものも知らないのか」と思われないように、慎重に行動していた。つまり、突っ張っていたのだ。


そこでW.S.Qに出会う。サン・ダンス、その時の衝撃的な曲名。なぜ、そのようなフリージャズがかけられたのか、今でも不思議だ。COMBOは、当時のチャラい音楽はかけず、ビバップやハードバップが主流で、女人禁制のお硬いジャズ喫茶だ。フリージャズがかかったことなど一度もなかった。女性向きの小洒落たジャズ喫茶で「ジャレット」と言う名があったのを思い出した。もちろん、キース・ジャレットから取ったネーミングだろう。女性に縁がなかったので、一度もいかなかったが。話がそれた。サン・ダンスだ。私以外にも、数名ジャケットを確認しに席を立つ人がいた。出会いを感じると共に、自分に「見分ける力」が身についたことを実感した瞬間だった。

福岡天神のジャズ喫茶COMBOは、タモリもよく通った有名な店だったらしいが、数年前に閉店したそうだ。W.S.Qのアルバムは、iTunesで検索すると、13枚もある。どれも、1000-1500円と安い。1枚数千円するレコードを探し回った頃からすると、夢のような時代だ。3分の1ぐらいは既に持っているが、改めて買い直しても良いよな。

あの頃、音楽を聴くことは私にとっては儀式だった。一曲、一曲を部屋のリスニングボジションに座って、目を瞑って聴いていた。たくさんの情報を音楽から得ていた時代だった。W.S.QのiTunesコレクション・コンプリートを目指すにあたり、その姿勢を復活させたい。また真剣に音楽を聴いてみたい。音楽好きな人にとって、本当に良い時代が来たのだから。

2012年10月21日日曜日

偵察ヘリ OH-1 ニンジャに興奮



航空ショーで初めて軍用ヘリコプタをみました。兵器を称賛することは少し後ろめたいのですが、とにかく恰好良いのだ。最初に見たのは側面から。迷彩色が施された流線型フォルムは狼のようであり、禍々しさを感じます。正面からみると薄!。最初は一人乗りかと思いました。両翼にミサイルらしきものを二基づつ装備しており、自衛隊も攻撃ヘリを装備しているのだと、なんか感動してしまった。

この軍用ヘリの正式型番は、OH-1。川崎重工業製の偵察・軽攻撃ヘリコプタで、陸上自衛隊に34機配備されています。もっと配備する予定だったそうですが、値段が高くて(20億円ぐらい)計画は250機だったのに、途中で中止になったそうです。任務は敵陣へ侵入しての調査。発見された場合には敵を攻撃し隙をみて逃走するために偵察ヘリであるにもかかわらず、重火器を装備することが出来ます。ついた愛称が、”ニンジャ”。なるほどって感じです。
最初、一人乗りだと勘違いしたが、直列座席(タンデム)の二人乗りで、前の人が操縦、後部座席が偵察活動を行います。各種電子観測装備は機体の上部にあり、木陰に隠れ上からのぞき見る感じで観測するそうです。装備出来る武器は、空対空短距離ミサイル4基。敵ヘリコプタなどに発見追跡された場合を想定しています。手裏剣ですな。
隠密行動のための低空飛行を可能にする高機動性、静音性能、調査能力、発見された場合の生存率を上げるための薄型フォルムや反撃武器が凝縮された日本製の軍用ヘリコプタ、これが ”OH-1 ニンジャ” なのだ。

(細かい事は、ぜひ Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/OH-1 を見て欲しい。)

このOH-1は、日本の防衛システム上、どのような位置づけなのでしょうか。湾岸戦争で知った近代戦争のプロセスは、まず制空権を確保する行動からスタートする。トマホークなどによる相手の対空防衛システムの破壊、攻撃機による空対空戦、そして制空権を確保すると爆撃機による地上設備の破壊が始まる。そして陸上部隊が上陸を開始。
しかし、この作戦はその後のプロセスが問題になっている。制圧プロセスが未だクリーンではないのだ。古くて新しい問題、市街戦やテロ活動に対して、圧倒的な対策行動が未だ確立されていない。モビルスーツ、各種電子機器などを駆使したSFや漫画みたいな戦術は結構真剣に議論されているに違いない。

話がそれました。改めて「OH-1は日本の防衛システムの中でどのような役割を果たす予定なのだろうか」考えてみた。日本の仮想敵国の上陸部隊殲滅を図るための部隊戦力偵察が予定されている任務なのだろう。ある程度、上陸されることは前提なのか。アメリカ空軍の御陰で制空権は完全に敵国に掌握されないものの、海軍の展開は間に合わないため、仮想敵国の大量、広範囲の上陸行動を許すことになる。この場合、日本の陸上部隊は攻撃を受けずに陸上部隊を迎えることが出来る。陸上部隊の展開力・機動力、そして敵部隊武装の調査把握能力が重要だ。

  1. 遅れて展開されるアメリカ海軍による敵国ロジスティクスの破壊、
  2. (制空権は確保されているので)哨戒機による索敵、
  3. OH-1による敵部隊の把握と攻撃プランの策定、
  4. オスプレイによる陸上部隊のダイナミックな配置行動、

これが日本の防衛システムのプロセスではないだろうかと想像しています。

いや、決して戦争を賛美しているわけではないのですが、OH-1をみて少し興奮してしまったようです。戦争はないのが一番、備えあれば憂いなしですが、それとは別の次元で、そもそも戦争・紛争・暴動など起きないように活動してほしいものです。戦争はゲームだけでたくさん。

そう言えば、最近戦争ゲームは市街戦テーマのモノが多い気がします。それも現在の軍事課題が反映している結果なのでしょう。まさか、戦争ゲームでシミュレーションしたりしていないですよね。まさかね :-p

2012年10月8日月曜日

2050年の世界


人口ピラミッドシミュレータを見つけました。

http://populationpyramid.net/

国や地域を指定し、年度を選ぶと人口ピラミッドと1950-2100年の人口推移を表示してくれます。
以下の駄文は読まなくても良いので、ぜひシミュレータで遊んでみてほしい。とても興味深いから。


上図は、2050年の中国の人口ピラミッドをシミュレートしたものです。
2015年頃をピークに人口は静かに減少しはじめ、2050年は、13億。この時、世界の人口は93億なので中国人は14%、七人に一人は中国人。驚くべきは、年代別構成比。半分は50歳以上だ。日本や韓国(republic of korea)も同様に壮年と老人の国になっている。明らかに社会保障とか破綻しているでしょうね。

人口ピラミッド・シミュレータを頼りに、2050年の世界を想像してみた。2050年に特に意味はありません。ちょうど数字として切りが良かったからかな。なんとなく政策をこれから切り替えて反映できるかもしれないぎりぎりの線だという気がしただけです。

2050年の世界

世界の人口は、増え続け93億になっている。50億はアジアの人達、まさにアジアの世紀。13億の中国はピークを過ぎ、人口の中心は24億を占める南アジア。インド17億、インドネシア3億は40代を中心に、経済は成熟期を迎えている。世界を見渡すと、人口5億の南アメリカ諸国もピークだ。南アジア、南アメリカが世界の工場と呼ばれている。
中国・タイ・日本・韓国は老化が進んでいる。中国は一部富裕層の海外移民も起きている。旺盛な消費を支えるため、地下資源の輸出が頼りであり、資源確保のため周辺地区への圧力も厳しく、軍拡は止まらない。
意外な事だが、4億の民アメリカの人口構成は大きく崩れておらず、静かに人口の増加を続けている。移民と文化と経済の実験場として、自らに刺激を与え続け、変貌させ続ける若々しさが、アメリカにはあるようだ。
7億のヨーロッパは人口構成こそ一時期の異常さを脱したものの、人口は横ばいを続けている。金融センターとしての地位は、まだこの地に存在するのだろうか。
アフリカ22億の人口は、まだ急激に伸びている。世界の労働力を支えるのは、この地域だ。世界の各地へ若々しい労働力を派遣している。

日本は、かなりハイブリットな状況だ。2010年頃より、恐る恐る続けてきた海外労働者受け入れ施策やバブル当時からの民間努力もあり、ずいぶんと外国人が国内に目立つようになった。まだ労働ビザでの入国が多いが最近は国籍を取得する人達も多くなっている。アメリカ好きの日本は、少しづつアメリカ移民政策を自分流に取り入れてきているようだが、人口構成の劣化の修正には、まだまだ遠い。
世界は主役を交代させながら、グローバル化による摩擦を生み出しながら、2100年の100億に向かって人口を増やし続けている。

随分と想像を逞しくしてみたつもりだけど、やっぱりピンと来ませんね。しかし、人口推定は戦争や大規模な疫病がないかぎり、必ず当たる予測で、様々なマーケティング、経済予測、社会学の基礎になっています。全ての政策の背景が人口推定にあるといても、過言ではない。これからも、何度も何度も見る機会がある、いや使う必要がある重要なシミュレータですよ。

2012年9月29日土曜日

Googleのコア・コンピタンス

一般には検索エンジンがGoogleのコア・コンピタンスだと言われています。
検索エンジンを軸に広告収入を得る。モバイルOSを只で普及させるのも、検索エンジンを特定し、結果広告収入を独占するため。ブラウザもそうだ。
だが、ちょっと関節技すぎないだろうか? 現実を説明するために「風が吹けば、桶屋が儲かる」みたいな説明を聞いているような気がします。
最近のGoogle関連で気になる記事が三つ。

眼鏡も自動車も広告収入からは程遠いように見えるし、また即効性のあるビジネスになるとも思えません。しかしビジネスモデルの視点を外してみると、Googleらしさが見えてきます。永遠のベータ版しか作成しないと皮肉られるgoogleの行動が、実はなにを生み出しているのでしょうか。

MAP、グラス、自走式自動車、これらは難しい技術です。具体的にどの辺りが難しいかと言うと、それは経験値が大量に必要だと言うことです。アプリケーションソフトウエアは、総じて目的が決まっており、利用のされ方は意外と固定されています。逆に言うと、目的あるいはユースケースを特定してから、アプリケーションソフトウエアを作成するのが、普通のシステム開発です。ところが、地図もグラスも自動車も、現在は利用方法や利用範囲がメチャメチャ広く、また日々増えていきます。それぞれの利用の組み合わせも考えるとシステムがカバーすべき範囲は恐ろしく膨大だと言えるでしょう。したがって、その完成には膨大な量の利用例が必要で、また整合性を保つ必要があります。
つまり、強大なユースケースのデータベースが必要です。作成には長期間の実験も必要で、それを蓄積し整理するノウハウも持っていなければなりません。googleの検索エンジンは、そのような長い間の実験の結果得たランキング技術が製品化され、広告収入となった例です。
現在進行中の眼鏡や自動車の実験の行き着く先は、広告収入ではないでしょう。恐らくGoogleも知らないのでは。ただ、ただ、膨大かつ有用なユースケースデータベースが出来ることこそ重要だと考えいるにちがいありません。このデータベースは、他社に対する大きなアドバンテージです。時間的に全く追いつけません。Appleが失敗したのも無理がないことです。Appleは勘違いしているのです。MAPは技術と地図情報を手に入れれば、すぐに実現できるのだと。不足しているのは、ユースケースデータベースです。これは暫く追いつけない。Googleのコア・コンピタンスは、ユースケースデータベースを作り上げる力です。この力は、大きく、長く、金を生み続けると言うことを検索エンジンビジネスから成功体験としてgoogleは身についているのでしょう。コア・コンピタンスと呼んで良いのでは。
* * * * * *

昨夜(2012/9/28)、Appleのティム・クックCEOがMAPアプリについて謝罪をしたのですが、そのなかで面白い発言があった。「たくさんの人がMAPアプリにアクセスしてくれた事に感謝しています。これでより良い製品に改善することができます」と言ったのだ。気づいたのだろうか。良いMAPアプリを作るには、ユースケースを大量に手に入れる必要があるということに。

画像はセントレア国際空港付近をApple Mapアプリで検索した結果です。フィリピン海に浮かぶセントレア島の入口には、謎の韓国名の橋がかかり、ダイセーエブリー24と言うアイドル団体か宗教団体の事務所があるようです :-p

2012年9月16日日曜日

あくまき


「あくまき」は宮崎県のソウルフードです。

南国物産展を見物していると「あくまき」をみつけました。¥420円(+ 専用のきなこ100円)。早速購入です。

「あくまき」は、竹の皮に包まれたアメ色の羊羹への成りかけみたいなモチみたいな食べ物です。食べやすい大きさに糸で切り、きなこをタップリとかけていただきます。その味は、思いの外甘く、触感もしっかりしており、エグさやクセはありません。その製法は、灰汁(アク)を十分に吸い込んだモチ米を竹の皮に包み、お湯にいれ煮込むのだそうです。

小学生の頃、福岡に住んでいたのですが、夏休みのたびに母方の両親が住む宮崎県飫肥に遊びにいきました。必ず、食べたのが「あくまき」です。あく(灰汁)で巻くから、あくまきなのだろうと思います。それは特別な食べ物でした。時々お客様が持ってきてくれるケーキみたいな幸運で、高価で、高貴なものと子供心に感じていました。でも、じいちゃんの家だけではなく、他の親戚の家にもありました。もしかすると、あの頃は未だ自家製だったのではなかったかと想像しています。正月になると各家が餅を突くように、宮崎ではあくまきを各家で作っていたのではないでしょうか。

いつの頃からか、あくまきを食べることはなくなりました。嫌いになったのか、出されることがなくなったのか、幼い頃の記憶では、ばあちゃんに「あくまきはないのか」と尋ねた思い出が残っています。返事がなんだったのか、覚えていません。

そして今日、久しぶりにあくまきを食べる機会を得ました。食べることが出来たことが大変うれしいです。もっと美味しいものはたくさん世の中にありますが、思い出が詰まっている食べ物は、そう多くはありません。もう絶滅してしまったかな、と思っていた「あくまき」を、また食べることが出来て幸せです。

2012年8月26日日曜日

構造が違うよ

ヴェリタス 2012.8.5 記事「英国 EU離脱論が消えないワケ」を読んだ。記事はオリンピック絡みの無理やり感があったのですが、いろいろと気づかされます。

記事要約 「英国 EU離脱論が消えないワケ」ヴェリタス 2012.8.5

EUに加盟しているが、大陸欧州とは独自路線をいく英国。「栄光ある孤立」を実現している根拠を5つ示している。
  1. 大英帝国の名残。プライドが孤立を生む。
  2. EU参加の条件として、ユーロ参加例外など様々な例外(オプトアウト)を獲得している。
  3. 1992年のボンド危機(ボンド暴落)で、世界通貨との連動が外れ、孤立した通貨となった。独自な通貨施策が可能となる。
  4. 英国の成長戦略の核である、金融街シティー。これを守ることが国家施策の最優先事項。
  5. 財政施策、金融施策はEU施策に縛られない迅速かつ独自な路線を実施でき、成功している。

日本と違う

記事のグラフ「英国のGDP産業別構成比」が面白い。いや知らなかった。英国のGDPの三分の一は、金融業により生み出されているとは。製造業は、全く出てこない。日本では、たしか製造業が25%程度で、一番だったと記憶しています。 これでは、日本と英国では政府の経済施策が全く異なってもおかしくない。いや、違うべきだ。マスコミの関心も全く異なるだろう。英国エコノミストと日本経済新聞では、「なんかセンスも論調も違うな、エコノミストは恰好良いな」と漠然と思っていましたが、多分この経済構造のせいですね。汗水垂らし製造ラインで働くイメージを持つ日本のマスコミの経済記事が、プロレタリアっぽい論調になってしまうのは当然ですね。そして、口先三寸の分析で金融マーケットを動かすスーツ姿のマスコミ記事がクールに見えてしまうのですね。(この当たり冗談ですよ)
当然ですが、経済の構造の違いは、必要とする財政政策、金融政策の違いに現れるはずです。他国が成功したからといって、自国で成功するわけがない。超国家による政策協調は、部分最適を生まないのです。最近話題の本 ノーベル賞経済学者ポール・グルーグマン著「さっさと不況を終わらせろ」の指摘が、アメリカには通用しても日本に通用しない。当たり前の理屈を踏まえた、地に足がついた議論が面にでない気がします。

個人も構造が違うよね

「xxxすれば儲かる」見たいな成功のための方法論みたいな本が売れています。「○○が教える幸せの法則」とかも同類。人も、それぞれ(精神や背景、能力、資産など)構造が違うんだし、その本の通りにして成功することは絶対にないでしょう。そのような本は、選びうる施策の一つです。選択出来る可能性のある施策案をたくさん知っておくことは良いことだとは思いますが、無理な真似は失敗しますな。まずは、構造を知ることから。

2012年8月4日土曜日

貴船考 タカオカミ考


貴船神社に行きました。目的は撮影旅行。だけど出来は散々。iPhoneの写真のほうが随分とマシ。哀しくなるので、写真の話は終了。いつか、リベンジを果たします。

京都バスで貴船口に到着し、徒歩で貴船神社に向かいます。歩道が整備されていないので、車道の脇を進むのが興ざめ。しかし、さすがは水の神の下、鴨川の源流が途中に小さな滝をなしながら、涼しげに流れている。気持ち良さそう。車道じゃなくて川辺を歩いて登りたかった。

貴船神社の由来
30分ほど登ると、貴船神社本宮にたどりつきます。祭神は高オカミ神(たかおかみのかみ)。水神であり、その姿は龍、オカミの字は雨冠に口三つに、龍と書きます。暴走族ご用達の漢字ですね。
さらに登ると、結社(ゆいのやしろ)があります。祭神は磐長姫(いわながひめ)。縁結びの神とされていますが、私の知っている磐長姫はそんな能天気な姫ではない。妹の「コノハナサクヤ」と共に天孫族ニニギに嫁に出されるのですが、その醜女ゆえ返されてしまうのです。なぜ、そんな縁薄き姫が縁結びなのでしょうか。とても強引な気がします。
さらに100mほど登ると奥宮(おくのみや)。奥宮(おくのみや)に奉られたいる現在の祭神は、闇オカミ神(くらおかみのかみ)。クラオカミはタカオカミと同一神であり、あるいは対となる神だと言われています。1055年に奥宮よりタカオカミは奥宮から本宮に移されたそうですが、では今ここに祭られている神はやはりクラオカミなのでしょうか。クラオカミとは、タカオカミのダークサイドなのでしょうか。
奥宮には、船形石と呼ばれる、恐らく上からみたら船の形に見えるに違いない遺跡?があります。1600年程前、大阪湾に黄色の船に乗った神、玉依姫(たまよりひめ)が現れ、この船が行き着く処に棲む神を敬えば、国は栄え民は幸福となると宣言し、船を進めます。船は鴨川を上り、貴船川を上り、その源流にたどり着きます。それが奥宮です。その時の黄色い船に由来し、貴船と呼称されたとも言われています。御船形石の遺跡の中には、その時の貴船が隠されているそうです。

奥宮の地に潜んでいたもの
イワナガヒメとコノハナサクヤの父は、オオヤマツミです。タカオカミもオオヤマツミもイザナミ、イザナギの子だと言われています。イザナミ、イザナギの国生みの儀で生まれたクラオカミが、タカオカミであり、またxxxxヤマツミと呼ばれる八神がオオヤマツミのことだと言うのです。しかし、古事記も日本書紀も朝廷の側から書かれた書物であり、特に由来については疑ってかかる必要があることは常識です。オオヤマツミの意は、山を統べるもの。オオヤマツミは、当時の朝廷と同等の力を有する豪族ではないかと推測しています。イワナガヒメ、コノハナサクヤの婚姻とは政略結婚であり、朝廷との血縁関係の成立だったのでしょう。山を統べ、水源を牛耳っていたオオヤマツミの一族が奥宮の正体だったのでは。
ところで、山を統べる人達とは、具体的には鉄(たたら)を統べる「山の民」ことだとは、民族学の常識です。
貴船神社からの帰り道、貴船口でバスに乗り損ねた私たちは、二ノ瀬まで歩いて行きました。途中で、ちょっと不思議な灯籠と木箱を見つけます(写真)。後で調べてみると、これは木製の愛宕灯籠で、向かって右の木箱は火伏札を奉納する神具らしいことが判りました。愛宕神社は、火の神の神社。二ノ瀬あたりには、火を制御し、信仰する火の民の文化が根付いているのです。
Q. 京都(洛北地域)の愛宕灯籠の横には、必ずといって良いほど木箱があり、3本の榊が挿してありますが、愛宕灯籠と関係するものなのでしょうか?
A. 加茂社の御阿礼神事において遥拝所に3本の榊を挿すという記載があり火伏の神として「愛宕さん」への遥拝所的な役割があるのではないでしょうか。
(Yahoo 知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127219437)

そして貴船は京都の北東に位置しています。丑寅(うしとら)の方角、そうです鬼門です。朝廷にとって当時の貴船は異人(鬼)の棲む土地だったのではないでしょうか。

貴(黄)船のたどった道
貴船の伝承とは何を意味しているのでしょうか。朝廷に従わぬ山の民とは異なる、もう一つの民「水の民」(海の民)を利用した山の民侵略か国替えではなかったかと疑っています。朝廷は異人を使い、異人を制圧する手を使ったのではないでしょうか。その民が、タカオカミだったのではないか。
かくして、貴船は水の民と山の民、異人神であるタカオカミ、オオヤマツミが封じられ、朝廷の神話大系にクラオカミ、ヤマツミ八神として組み込まれていきます。
貴船の地は呪いの地となりました。丑の刻参りが、この地から生まれたのも、決して偶然ではないでしょう。

なぜ磐長姫(いわながひめ)が祭られているのか
オオヤマツミの娘達、コノハナサクヤとイワナガヒメは対象的な女神です。コノハナサクヤは、超美人で有名で、イワナガヒメは、見目がとても残念な女神ですが、磐のごとく健康的で長命であり、イワナガヒメと結婚することは子々孫々長く繁栄することが保証されます。コノハナサクヤは、短命です。天孫族ニニギがコノハナサクヤを選んだことは、天孫族の栄華が続かないことの呪いです。
出戻りとなったイワナガヒメは、さぞや哀しく朝廷を恨んだことでしょう。その呪いを恐れた朝廷が呪いを封じるため、縁結びの神として奉ったのではないかと思います。貴船神社が、その豊かな水源から雨ごいの地として有名になった平安時代は、呪い合戦の時代でもありました。最強の鬼神菅原道真を封じる天満宮など同様の仕掛けが用意された時代でした。

貴船神社は美しい処でした。川床で食べた釜飯もビールも大変美味しく、本当に久しぶりに休日を、旅を満喫しました。
もっと写真の腕を上げて、今度は叡山電鉄に乗って鞍馬駅から散策してみたいものです。

2012年7月22日日曜日

怪鳥ロプロプの謎 ー エルンスト展感想 (駄文) ー


2012年7月15日、犬山城を後にして愛知県美術館に向かいます。お目当ては「マックス・エルンスト フィギュア X スケープ」展。
前回の「魔術・美術」展が、もの凄く面白い企画展だったので、今回の期待のハードルは高い、高いのです。到着したのは15時ぐらいだったでしょうか。

美術作品のテーマって
美術作品の企画展はテーマ設定が大変難しいのでしょう。XXXコレクションとか、一つの有名作品を見せるためのとってつけたようなxxx派展とか、触手が動きません。かといって、余りにストレートなテーマは想像の範囲が殆どなく単調です。シュールレアリズムの変遷とかは、ちょっと引いてしまいます。今回の「フィギュア X スケープ」は、いいですねえ。謎めいていて想像力が掻立てられます。手渡された解説を一寸読むと、テーマ判った気になるんですが、それほど浅くはありません。スタートは、コラージュ作品。詩集「反復」の挿し絵は正直、何が描かれているのか、その意図はさっぱり理解できません。でも、なにか一貫した「もの」がある気がする、感じるのです。恐らく、詩から受ける脳内のイメージを、詩と同じ方法で表現したのでしょう。詩は言葉を選び組み合わせることで新たな「なにか」を生み出すのですが、コラージュは既存の絵を切り貼りし、配置し組み合わせることで、別の「なにか」を生み出す手法ですから構造が良く似ています。それにしても、抽象度が高く観るたびにドキドキします。それはフリージャズを聴いてる時の興奮に似ている気がします。
挿し絵形式で物語の形式をとっているものがいくつか展示されていました。「不滅な人々の不幸な出来事」、「百頭女」、「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」、「ナイフ氏とフォーク嬢」、「慈善週間または七大元素」など。どれも不気味で、少しエロっぽくて、なにか物語が見えてきそうで、でも良く判らん。そしてドキドキします。そうか、これが美術作品群のテーマ・企画と言うものなのかと気づきました。直喩ではいけないのです。底が浅く、すぐに飽きてしまいますから。作者の意図も超えた、あるいは自分さえも判らない深層心理をすくい上げ、その手がかりを垣間見せるぐらいの得体のしれなさが必要だし、その一方で一つの流れや「くくるもの」が必要です。観る人は適当な幅で右往左往し想像出来るのが、良い芸術作品なのでしょう。そして良い企画展もそうなのでしょう。
石化した森

お気に入りの森
展示テーマとは別に、単純にマックス・エルンストの気に入った作品がありました。「森」シリーズです。「森」はエルンストが好んで油絵で描く題材らしく、今回の展示でも10点ほどあったと思います。そこには人や動物は出てきません。人を寄せ付けない深い神秘な森の様々な姿と単純な円で描かれた月が存在するだけです。森は唯々深く、月は無言で森の中に埋まっています。森の上ではないのです。森は、それほどに圧倒的に世界を支配します。国立西洋美術館の常設展に飾られていた、なじみの「石化した森」も展示されていました。なじみの人に偶然会えた感じで、ちょっと感動したりします。(右の写真、国立西洋美術館で撮ったもの)
今回、お気に入りに加わった作品もあります。「マクシミリアーナ、あるいは天文学の非合法的行為」(エッチング)の一連の作品です。文字と挿し絵で構成されているのですが、なんと文字はエルンストの造形なのです。これは、もうグラフィックデザイン、DTP、書道。文字は機能を換骨奪胎され抽象的な表意文字?になってます。これも森シリーズも絵葉書が販売されていないので、ちょっとがっかりです。

ロプロプの謎
ところで、エルンストの作品の中には随所に「ロプロプ」と名付けられた鳥人間が現れます。頭は鳥で体が人間です。解説によれば、エルンストが未だ子供の頃、可愛がっていた鸚鵡が死んでしまい、その日に妹が生まれた事から、鳥と人との霊的なつながりを知りショックを受けたのだそうです。自分にも守護霊的な鳥の存在がいることを確信し、自分の代理人・分身としての鳥(鳥人間)を作品に登場させるようになりました。ロプロプの名は、自分の子供に木馬を与え、それを揺すりながら「ギャロップ、ギャロップ」と囃していたため、子供は「ロプ、ロプ」と覚え口ずさんだことに由来すると書かれています。ロプロプの名は、その頃に初めてエルンストが発言し、「ロプロプが紹介する」と名付けたタイトルもあるそうです。
これからは私の想像です。自分の息子が「ロプロプ」と、はしゃいだ時エルンストは最初なんの事か判らなかったのではないでしょうか。そして自分には見えないが子供には「ロプロプ」と呼ばれるものが見えているのではないかと気づくのです。それは以前より信じていた自分の守護霊だと確信したでしょう。こうして自分の守護霊の名前を知ったのでないでしょうか。怪鳥ロプロプの誕生です。日本の言霊信仰によれば、名を持つことで、それは現実となるのです。

さらに、想像は続きます。長年、バビル二世の三つのしもべの名の由来はアニメファンの謎でした。ポセイドンは明らかに海の神が由来です。しかし、ロデムとロプロスは、由来が全く不明です。ギリシャ神話を含め、その名前はないのですから。もう御判りでしょう。恐らく、ロプロプが由来です。怪鳥ロプロプと呼ばれたエルンストの鳥人間を、どこかで耳にした横山光輝先生が、その語感の良さから採用し、ロプロスとしたに違いありません。バビルも、本来バベルのはずですが語感の良さからバビルに変更したそうですから、ロプロプーロプロス変換は、なにも問題なかったでしょう。

脱線しましたが、マックス・エルンスト展は、その企画テーマの御陰で素晴らしい世界観を持った展示となり、飽きることなく一気に観ることが出来る、そしてドキドキが止まらない楽しい展示でした。この感動を何度も深く味わうことが出来る充実したカタログにも満足です。これで、また次の企画展のハードルが上がってしまいました。

2012年7月17日火曜日

犬山三社の謎に迫る


2012年7月15日、あいにくの曇り空でしたが犬山に行ってきました。目的は勿論、国宝犬山城です。天守閣に登りましたが、手摺が当時のままの高さ50センチほどで、うっかり身を乗り出すと落ちてしまいそうで、ビビってしまいました。なかなかの迫力です、今まで事故が起きなかったことが不思議なくらいです。

ところで、犬山城のふもとに神社がたくさんあります。
主要な神社は、城下町から犬山城に向かって、左から犬山神社、三光稲荷神社、針綱神社です。
「たくさん」と書いたのには誇張はなく、確認しただけでも以下の様に「たくさん」あります。
三光稲荷神社の境内には、三光稲荷神社社屋とは別に猿田彦神社、大宮女神社がありますし、末社として山之神社もあります。針綱神社には、その境内社として10個(と数えるのだろうか)の小さな神社があります。針綱神社の最初の鳥居の左横には、太宰府天満宮の分社もあるのです。

なぜ、こんなに集まったのでしょうか? それぞれがどのような役割を持っているのでしょうか? 気になったので調べてみました。

犬山神社は、歴代の犬山城城主が祭神です。この神社は一番わかりやすい。人は死して神となるのです。徳川家日光東照宮もそうですね。

狛犬ならぬ狛狐
三光稲荷神社の祭神は、宇迦御魂大神(うかのみたま)で、この神様は御稲荷様の総元締めにあたる神様だそうです。宇迦御魂は、イザナギとイザナミが空腹で弱っている時に生まれた神で、食べ物に関係する神様でもあり、なかなか由緒も正しい。男神でも女神でもないようだ。

三光稲荷神社の境内にある猿田彦神社の祭神、猿田彦は有名な神話界のトリックスターです。猿田彦神社は全国にたくさんあり、熱田猿田彦神社が総元締め(異説もある)だそうです。

大宮女神社の祭神 大宮女は別名姫亀神。縁結び、安産などの神でご神体は女陰を模した岩です。

この三祭神が同じ境内に鎮座するのは、なにか意味があるのでしょうか? 大宮女は、実は"うずめ"ではないかと想像しています。"うずめ"は、猿田彦の妻であり、また猿田彦を海で溺れさせたのではないかと疑われている女スパイでもありました。(後で追跡調査したら、その通りで、私の推測もなかなかと自慢。)
狐(動物)、男、女とそろっているのが、なにか意味があるような気がします。

一番良くわからないのが針綱神社です。犬山の有名な祭は、この神社に起因するのですが、祭神が不明。針綱明神とは、そもそも誰なのかが判らない。祭神は、記録ではククリ姫も含め十神ほど名を連ねているのですが、とってつけた感じがします。重要な祭神は筆頭に書かれている天火明命(アメノホアカリ)で、尾張氏一族の祖です。どうも古くこの地を納めた豪族の氏神らしい。つまり、氏神であるアメノホアカリが祭られ、その封じ込めに他の神々が利用されたのではないかと想像してしまいます。大和朝廷にて封じこめられた出雲の古代神を使い、各豪族の氏神を制する構図は、各地方で頻繁に見られるやり方だそうです。

なんだか、最近「鬼の日本史」(沢史生)とか読んでいて、いろいろと想像を逞しくしてしまいました。罰当たりな気もしますが、ちょっと「歴史発見」みたいな気分です。