2012年1月15日日曜日

ジョブズの伝記を読み終わって

上下二冊に別れているのは、日本だけだろうか。下巻は成功話であり、面白かったし、また死に至るまでの工程でもあり、痛ましい気持ちにもなりました。学ぶという面では、上巻の失敗に学ぶのが筋だと思うのだけどね。
気づいたことや気になることはあるので、思い出すままに書いてみます。

オープン VS クローズ

ジョブズの「システム」に対する思想は、全てをコントロールするべきだというものだった。生産もマーケティングも、ユーザの経験さえも制御しなければならないと考えています。他者がその世界に進入し、勝手にされることを望まない、それは悪だと、崩壊の兆しだと考えるわけだ。本では、これを「クローズ」と表現しています。その対局に、「オープン」。商品やサービスは提供されたら、それがどう利用されるかは、関知しない、意外な利用も含めて歓迎される思想です。

仕事でも、趣味でもオープンな環境やツール、製品を利用することは多い。オープンなもの無しでは、今の自分はなかった。とても感謝しています。その一方で、iPhoneやMacOSXも、また愛してやまないものであり、もはやiPhone無しの生活は成り立ちません。オープンもクローズも、共に無くてはいけないものです。しかし、エントロピーが高いのはクローズのほうでしょう。油断すれば、クローズなものは、すぐに崩れていくでしょう。完成度も製品としての価値も高いiPhoneは、ある意味奇跡なのだろうか。そして、オープンなAndroidは、だんだん普通、ある意味つまらない方向になるのでしょうね。クローズとオープンの戦いは、全体として(例えばシェアは)オープンの勝ちになるが、個人・企業でダントツの勝利者となる条件は、クローズなのでしょう。

交差点に立つ人

ジョブズが成功した資質として、彼が学際的だったことが指摘されています。専門特化した人は、その分野の上位になることは出来ても、分野を超えた世界の上位に食い込むことは出来ないと言うことでしょう。昔、ある先生からT型人間であれ、と教わりました。I型が専門のみに特化した人、T型は、専門をもちながら、それ以外の分野では広く浅く理解している必要があると言う意味だった。交差点に立つ人は、さらに凄いのか。二つの分野の交わりを発見し、そこに位置すること。つまり、それぞれの分野が専門であり、それぞれの視点と交わりであるがゆえの視点を持つことなのだと理解した。凄まじい。

Next以前とNext以後

Appleに復帰したジョブズは、大人になっただろうか? 経営者として目覚めたのだろうか? 伝記を読むまでは、ジョブズは、失敗を経験し、それを糧として経営者として成長したのだと思っていたのですが、全然違う。ジョブズは何も変わっていない。製品に向いていた情熱が、組織に向いただけ。組織を作品として、理解し、その完成に興味をもっただけだ。手法も性格も、変わっていない。とても、すっきりした。そんなに簡単に人間は豹変できないのだ。むしろ、常に同じ姿勢を貫いたことに驚きと尊敬を感じます。

伝記は難しい

伝記とは、難しい分野だと思った。事実とはなんだろうか。本人も、周囲も真実を言わない。真実だと自分が信じてしまったことしか話せない。作家は事実を書けないのだ。情報を系統だって書くことで、事実かも知れないことを浮き彫りにする作業を行うのだろう。しかし、系統立てることで、意図が加わり、また真実かも知れないことからずれてしまうこともあるのだろう。難しい。

システム業界の業(ごう)

映画業界は、結構明るいのですな。それに比べるとシステム業界の暗くて、ジメジメしていて、つらそうなこと。エンジニアは相変わらず疲弊していく。ジョブズのようなリーダがいると、エンジニアはハイになって、ついには燃え尽きてしまうみたいだ。


マイクロソフトの立ち位置とか、人材とコネクションのこととか、なんか思ったはずだが、忘れた。段々、内容が短くなってきたので、ここで記事は終了。