2012年2月25日土曜日

”蜩ノ記”と”蝉しぐれ”


藤沢周平さんが亡くなり、新作は読めません。藤沢周平的な書に飢えていました。
先日、直木賞を受賞した「蜩ノ記」(葉室麟 著)は、時代劇であること、タイトルに「せみ」が絡んでいたことから、ビビっときました。流行モノに手を出したと思われたくないので、普段はタイトルだけ頭の隅に置いといて文庫になった時に購入するのですが、「蜩ノ記」は、早速購入しました。

結論から言うと、とても満足しました。久しぶりに飢えが満たされた気がします。しかし満たされたのは藤沢周平的な食欲だったのか、純粋に良い作品に対する飢えが満たされたのか不明だったので、少し考えてみます。

藤沢周平さんの代表的な作品のひとつ「蝉しぐれ」と「蜩ノ記」を比べてみると、どちらも時代劇であり、共通な要素が多いことに気づきます。切腹。蝉しぐれの主人公牧文四郎の父は文四郎が若い時に切腹します。蜩ノ記の戸田秋谷は、10年後の切腹を命じられます。両作品とも城主の正室あるいは側室となる想い人が存在しますし、その描かれ方も良く似ています。男の成長について、蝉しぐれは文四郎の成長の物語であり、蜩ノ記では、秋谷の子、郁太郎の成長を見守ることになります。舞台となるのは、蝉しぐれは有名な海坂藩で、蜩ノ記は羽根藩。共に架空の地方の貧乏な小藩です。北と南の違いはありますが、どちらも財政問題を抱え藩主は不在です(参勤交代とはそんなもんなのでしょうが)。ちなみに、蜩(ひぐらし)で、羽根(はね)とは、ちょっと出来すぎの名称かなと思います。せみの鳴き声の使われ方は同じだと感じました。ある場面を、何度も回想することになる思い出として印象的な絵のように描く為に、場面全体に響く背景のように蝉の鳴く声を入れています。マルチメディアな効果でしょう。

葉室麟さんの作品は、蜩ノ記が初めてですが、恐らく斬り合いのシーンも藤沢周平さんの作品と良く似ているのではないでしょうか。最小限の動きのみを描き、派手な立ち回りはせず、閃光や音で緊迫した状況を短く描写します。緊張した空気が伝わる文章は、隠し剣シリーズに通じるものがあります。

蝉しぐれと蜩ノ記は、タイトルだけではなく、物語も同じシリーズの作品ではないかとさえ思いました。戸田秋谷の子が、文四郎であり、文四郎が成長し、また因果な政争に巻き込まれる大河ドラマを想像してしまいます。ただ、蜩ノ記の戸田秋谷は、かなりスーパーマンな人で完全無欠な人物として描かれています。このような人物は、決して藤沢周平さんの作品には登場しません。

なるほど、私が藤沢周平さんの小説に求めていたことが、何だったのか判った気がしました。普通の人が、もがき苦しむ事で生み出される感動を求めていたのじゃないかな。藤沢周平さんの小説は現実を受け止め、それを結論として納得させる話が多い。能天気ではないが嘆き悲しみむことはない。諦めでもない、完全な達成感でもない、その中間よりも少しだけ下あたり。たまには少しだけ上だったり。そのような庶民の物語が、日本のファンタジー世界である江戸時代・士農工商の世界、適度にデフォルメされているが、現在につながるリアルも持った時代を舞台として、美しく端正な文体で語られます。文章が美しいので、どの頁を開いて読んでも、そこに感動があります。何度も読み返したくなります。藤沢周平さんの作品は所有したくなるのです。

蜩ノ記は、市井の人の物語ではなく、ヒーローな人が全てを解決し去っていく映画シェーンのような側面もある小説で、それは藤沢周平さんの小説とは異なります。しかし、その文体や俳画の如き描写は素晴らしく、藤沢周平さんを彷彿とさせます。本当にハードカバーで買って良かった。

ところで、作者の葉室麟さんですが、麟(りん)と言う発音から最初女性の方かと勘違いしていましたが、直木賞候補常連の大ベテランでした。ちょっと赤面です。