2013年2月23日土曜日

烏森神社 封じられた物語


会社の近くに烏森神社があります。新橋駅烏森口から歩くこと数分、飲食店が並ぶ細長い路地の奥に烏森神社が鎮座しています。
烏森神社


会社に向かう途中でもあり、とある漫画にでてくる名称に似ているので少し気になっていました。休日出勤のついでに立ち寄って見ることにします。

稲荷神社だと思っていたが、狛犬は狐ではなく犬。造形はダイナミックで少し変わっています。
祭神は、倉稲魂(うかのみたま)神天鈿女命(あまのうづめ)瓊々杵(ににぎ)尊。これはネットで予め調べていたため知っていたことで、社屋には探してみたけれど、記載されていません。
烏森神社の由来ですが、藤原秀郷が平将門討伐に向かうに先立ち、武州の稲荷神社に戦勝祈願したのが始まりだそうです。藤原秀郷は百足退治で有名な俵藤太で矢の名人。秀郷の夢に白狐が現れ、白羽の矢を授けます。この矢を使い藤原秀郷は平将門の討伐を成し遂げるのですが、その御礼に新社屋を建立しようとすると、また夢に出てきた白狐は、東の地の烏が群れなす森を指名します。これが烏森神社です。この由来は何を意味しているのでしょう。狐と烏、何か関係があるのか?何故、わざわざ関東の地を新社屋に指定したのでしょうか。

稲荷神と荼枳尼天
なぜ、藤原秀郷は戦勝祈願を稲荷神社にておこなったのでしょうか。稲荷神社に戦勝祈願を行うことは割と普通のようで、武田信玄も稲荷神社に戦勝祈願を行っています。稲荷神社の総本山は京都・伏見稲荷神社だそうで、祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)神。スサノオの子であり、五穀の神とされ食物、稲の神です。食物の神と戦(いくさ)はなんの関係もないですねえ。
実は稲荷社を二つの系統に分ける考え方があるそうです。
狛犬 狐じゃない
神道系と仏教系。神道系は伏見稲荷神社を総本山とし、仏教系は豊川稲荷を総本山とします。真言密教の祖である空海は、稲荷神を氏神とする豪族秦氏の支援を受け京都東寺を建立します。この時より稲荷神(宇迦之御魂神)と白狐にまたがる荼枳尼天(だきにてん)が結びつき、同一視されていくのです。荼枳尼天は密教最強の戦闘神。戦勝祈願を行う神様としては最高の選択だったのです。
烏森神社は狛犬も狐ではなく犬ですし、稲荷神社に付き物の赤い鳥居もありません。宇迦之御魂神とうたわれていますが、実は荼枳尼天(だきにてん)なのです。

天孫降臨 瓊々杵尊の物語
烏森神社祭神の瓊々杵尊(ににぎのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけ高天原から降臨し、芦原中国を統一した神です。瓊々杵尊は天照大神の孫なので天孫降臨。高天原から降り立つ瓊々杵尊に同行したのが
天鈿女命(あまのうずめ)。天鈿女命は天照大神が天岩戸に隠れたときに岩戸の前でエロティックなダンスを踊り岩戸を開けるのに大きな役割を演じた女神です。天孫降臨の際には道案内をするために瓊々杵尊を待っていた猿田彦(さるたひこ)の正体を看破し道案内の後、猿田彦の妻となります。猿田彦は、その後海に溺れて死ぬのですが、天鈿女命(あまのうずめ)が暗殺したのではないかとの説もあります。

瓊々杵尊による葦原中国(あしはらなかつくに)制圧の様子は皇孫本紀に書かれています。現代語訳は以下のサイトが素晴らしい。
きっと鵄

皇孫本紀には烏の活躍が記載されています。
八咫烏は敵地に侵入し「天孫が攻めてくる」ことを風潮し敵陣営を動揺させ、また裏切りを誘います。
また金色の鵄(とび)は、苦戦の時に天孫の弓の先に舞い降り「雷光の如く光り輝き」敵の軍勢を幻惑し戦いを有利に導きます。
烏森の烏の絵は、三本足の八咫烏ではありません。恐らく金色の鵄(とび)が原形なのではないかと推測しています。


平将門の乱 藤原秀郷の物語
平将門の乱を平定した藤原秀郷は自らを「中国(なかつくに)を制圧した瓊々杵尊」に例えたのではないでしょうか。

天照大神  -- 天皇
瓊々杵尊  -- 藤原秀郷
芦原中国  -- 東北(蝦夷)

神社の由来や祭神の物語は、藤原秀郷が平将門の乱を平定する物語と暗示しているのです。例えば以下のような物語が起きていたのでは。

藤原秀郷は、外人部隊(荼枳尼天より派遣された白狐、白羽の矢)を使役し、スパイ(八咫烏あるいは金色の鵄)を使い将門軍を混乱させ、将門側の重要な人物(猿田彦)の裏切りを誘い、戦いに勝利します。この裏切り者は、天鈿女命(あまのうずめ)が烏森に始末し闇に葬ります。天鈿女命は、この人物の唆(かどわか)しにも重要な役割を演じていたのでしょう。

封じられたもの
この「猿田彦」の怨念を恐れた藤原秀郷は、烏森神社を建立し封じたのです。
仏教系稲荷神社の総本山・豊川稲荷の祭神は、宇迦之御魂神、猿田彦神、天宇売命(あまのうづめ)です。烏森神社と比較すると猿田彦が足りません。当然、祭られるべき猿田彦をあえて外すことで、猿田彦の存在を浮き彫りさせている裏祭神とでも呼ぶべき配置なのではないかと想像しています。
東京には神田明神など将門封印の役を担う神社がいくつかありますが、烏森神社も将門由来の怨念を封じる役を担っているのです。

2013年2月3日日曜日

藤田嗣治の猫


藤田嗣治の絵には猫が付き物だ。自分の分身なのだろうか。「美術にぶるっ展(東京近代美術館)」で藤田嗣治の「自画像」を観る機会がありましたが、やはり猫が鎮座しています。自画像ですから自分は描かれています。なんだ、分身ではないのか。それとも、魂だけ猫になっているのか。そもそも、なぜ猫なのだろうか。

藤田嗣治の絵は日本画の技術と色彩を活かした真珠色の肌が特徴的で、裸婦がとても美しく映えます。西洋画の伝統的・宗教絵画的な技法では女性の肌は少し脂ぎっているように感じます。その一方で、ギリシャ彫刻の裸婦像は素材のせいでもあるが、冷たく静謐な肌で、これは好みだ(私の)。藤田嗣治の真珠の肌は、ギリシャ彫刻の神秘性に暖かさが加わりました。さらに猫が加わると動きが感じられるようになります。生命を持つものは動くもの。藤田の裸婦は美しいが「生きる女性」としては、なにか足りないと藤田は思ったのではないでしょうか。猫がそこに忍びよることで、裸婦は女性に成りえたと、うがった見方をしてみました。それにしても猫は羨ましい。

世界はわけてもわからない」とは、分子生物学者 福岡伸一さんの本です。分解し部品だけを見つめすぎると本質を見誤ることを説いております。誠にごもっともです。しかし、誤解も楽しからずやとの勢いで、「部品」からアートを眺めてみることにしました。題して「アートの部品シリーズ」。不定期に書いてみます。